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信貴山のどか村内の小高い丘にあるミネンド城跡。戦国時代に河内から大和へと勢力を固めていた松永弾正久秀が、織田信長との戦に備えて築いた出城ががこのミネンド城です。
松永弾正久秀は、織田信長に謀反したことで悪者のイメージが強いですが、京の代官職など文武両面で治安維持に努めた人物でもあります。
信仰心も厚く、堺の先達となり、堺商人や文化人との交流も深く茶湯を好み茶器名品を集め、各城跡からは多くの名器が出土されています。
茶人千利休とは兄弟弟子で当時の茶会を催す第一人者でもありました。
築城においても石垣の活用や多門櫓の考案・見せる城としての多層楼・御殿建築・瓦葺き建物の配置・横掘りの多用など、城郭の近代化を進め築城術にも優れていました。